勉強は量より質?

昨日はテスト前の最後の休日。
ゆい研では朝の9時から13時まで授業でした。

一応、10分の休憩時間を設けましたが、誰も席を立つことはありませんでした。学習時間は私語もなし。うちの生徒さんは本当に一生懸命頑張ります。別に、休憩時間の過ごし方なんて指示してないのですが、場の持つ雰囲気からそうなるのでしょう。

さて、勉強は量より質でしょうか。
勉強といっても学校の勉強だけを指しているのではありません。新しい学び、気づきすべてを指しています。

よく、「短時間で効率よく」と言われます。
要領の良い人がかっこよく見えたりたりします。

それでも私は、何かを習得するには、集中力を維持しつつも量をこなすことが必要だ、と考えています。

以前勤めていた職場でも、仕事ができる人はよく働いていました。超忙しい時期と忙しい時期の違いはありますが、仕事ができる人はコンスタントに長時間働いていました。

慣れてくると、手を抜くことだって覚えます。
それでも、妥協することなく仕事している人たちがいました。
もちろん経験ある事案についての判断は早くなります。
新たな事案に出会うたびに、新たに学び、自分の考えを深めていました。あるいは、自分の責任を全うしていました。

私はよく本を読みますが、本を書けるだけの人は、ものすごく働いているか、若いころにものすごく働いたかのどちらかです。

よく、「仕事ができないからたくさん働かないといけないのです」と謙遜される方がいますが、そうやって長時間働いているうちにスキルはますます身につき、ただ時間給を得るために働いている人とは相当な差が出てくるでしょう。

過労死するまで働くことが良いと言っているのではありません。それが嫌なら回避する自由もあります。しかし何かを習得するには、ある程度の量が必要です。

学校の勉強もしかり。量をこなしていない生徒は、知っている問題でも、手を変え品を変えて出題されると分からなくなります。「問題文を少し変えているだけで、問われていることは一緒だ」と気づけるようになるまで、複数の問題に出会う必要があります。

ゆい研では、多くの中学生がそうであるように、量が質に転嫁する前の子たちがやってきます。
その子たちには、堂々と言います。普段からの積み重ねが大事だと。努力が大切だと。

ただ、いつか質にこだわらなければならない時ます。
同時並行で物事を処理すべき時がきます。

同時並行で処理してこそ、スキルが身につくのかもしれません。